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日本ピーマック株式会社

製品Story

50年来受け継がれる、
地球と人に寄りそう姿勢。
原点は、
一台の空調機だった。

1970年代、一台の空調機が生まれる。その名もPMAC。
今や当たり前となっている自動・冷暖房フリーの空調機の原点だ。
日本ピーマックは、PMACを原点として、
経済や生活様式、働き方、社会の変化と密接に関わりながら、
新たな空調機を開発していった。
その挑戦の歴史をたどる。

01

高度経済成長期。
労働者不足という課題が、
革新の原動力に。

高度経済成長期の最終期、日本は深刻な人手不足に悩まされていた。当時、既に空調工事業界でトップの地位を確立していた日本ピーマックの親会社・高砂熱学工業は、「空調工事の省力化」をテーマに掲げた。同じ頃、超高層ビルの代名詞であった「霞ヶ関ビル」では既に、工場でプレハブ化された空調機を施工。当時現場で行っていたダクト(冷暖房装置の導管)工事が必要ない、画期的な空調機だった。

02

初代PMAC

PMACシステムの誕生

「MY式熱ポンプ暖冷房装置」と呼ばれた霞ヶ関ビルの空調システムの成功が勢いとなり、開発が加速。「PMACシステム」と名付けられたその装置は、1969年に特許申請され、のちに設立される日本ピーマックが売り出すことになる。製品名にもある“Prefabricated”=プレハブ化の原点である。1971年、「PMACシステム」は記者発表され、全国に製品発表を行った。

03

PMAC初出荷時の風景(1971年)

2度のオイルショック。
そのとき日本ピーマックは。

効率化を追求して発展していった日本経済だが、1973年に第一次オイルショックが発生。社会の関心は、高度経済成長の終焉と共に「省エネルギー」へ向かう。日本ピーマックの設立は1972年。設立2年目の危機である。日本ピーマックも当然、建設工事の中止や延期などの困難に直面した。しかしPMACシステムは、社会が求める「省エネルギー」に応える機能により、社会課題に応えていく。

04

PMACの生産風景(1970年代)

「省エネルギー空調」として、
業界を牽引

当時、空調機は季節ごとに一括で冷暖房を切り替えるのが当たり前。一方PMACシステムは、自動調節と部屋ごとの個別制御が可能で、省エネルギーも叶えるシステムであった。オイルショック前の開発段階から構想に入れられていたこの機能は、まさに世界に先駆けた技術といえる。PMACシステムは次第に「省エネルギー空調」としての地位も確立していく。1973年には、正式商標が「PMAC」となった。

05

新聞広告「大気をよごさない全電化空調システム」(1971年)

環境にやさしい。
ヒトにやさしい。新しい
空調機として。

高度経済成長は公害や大気汚染という問題も引き起こし、社会は産業と環境保全の両立へと動き出した。国が公害対策を進める中、大気汚染の原因となる重油やガスを使う従来の空調機と違い、日本ピーマックは水を熱源とした「大気をよごさない全電化空調システム」を進化させていく。空調機特有の音を小さくすることにも成功し、PMACは様々なビルで求められる空調機へと成長した。

06

PMACに込められた想い

  • Prefabricated空調機の取り付けをもっと楽に

    ダクトや配管等の現場加工を無くし、自社工場でプレハブ化することで、省力化・工期の短縮を実現する。

  • Moduleいつでも、だれでも、快適な空気へ

    全館統一制御から、個別制御システムへ。冷暖房フリーで、一人ひとりに一年中快適な空気を届ける。

  • Air conditioner大気を守りながら、空気を整える

    快適な空気をつくるのに利用するのは、水熱源。二酸化炭素の排出や大気への排熱を最小限に抑える。

  • Cassette省スペースで、あらゆる建物に

    ボイラーや空調設備機械室が不要な“cassette”という概念は、「カセット式」空調機の語源に。省スペースで、多様化する建築に対応する。

07

初代ASPAC

経済や働き方の
変化と共に登場したASPAC

PMACに続き、当社の2本目の柱であるASPACは、1979年に発売を開始。当時、外資系の企業が増え、24時間稼働のインテリジェントビルが主流に。空調機はワンフロア単位での動作が一般的だったが、フロアにより稼働時間が違うため非効率だった。顧客から相談を受け、技術者の奮闘の末、エリアごとに冷暖房フリーにできるASPACは生まれた。当時大手メーカーにもなかった革命的な空調機である。

08

PAFMAC

日本ピーマックの
新しい市場を開拓したPAFMAC

日本ピーマックは当初、新築物件へ納入する空調機をメインに取り扱っていた。しかし、競合製品が多くある中、それだけでは太刀打ちできない。そこで、建物の改修時に取り付けやすい空調機の開発へと目を向けた。蓄熱システムが盛んに使われていた当時、その技術を応用して、「冷温水」で空調できるPAFMACを開発。当時主流だった、全館統一運転空調の配管を、そのまま利用することを可能にした。

09

厚木工場(1971年)

空調機メーカーとして、
挑み続ける

お客様の声をすくい上げ、社会課題に応え、進化してきた日本ピーマック。気候変動、新型コロナウイルス――。空調機メーカーとして応えるべき課題は尽きない。地球と人に寄り添う日本ピーマックの物語はつづく。

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